故郷実家の跡地を見に・・

6月末ごろに自分の実家(廃家)を見届けに行く予定・・。

★実家はもう廃家になっているが、墓を守っている姪っ子夫妻がいるので、墓参のついでに挨拶をして、本家の佐藤正一郎さんの家にも顔を出して挨拶をして、下唐松、上唐松の墓や、高瀬川や、唐松神社、回るのはレンタカーのつもりなので、軽井沢、仙道、板戸、松沢、坂ノ下、蒲生、鴻屋、田代、門前、など昔とどう変わったのか等をこの目でしっかり見て来たい。見たところでどうなるものでもないが、子供の頃の記憶が・・

見たところでどうにもなるわけではないが・・。

★子供のころの記憶が、あの山はどうなっているか・・田んぼはどうなっているか・・。幼いころの思い出とはこんなにも鮮明な記憶として残るものなのか・・。兄たちや、地域の子供たちと遊んだ記憶・・りんご畑の番小屋で、りんごの番をしたり、畑にまいた大根の芽を雀から守る番をしたり、畑の草むしりを言いつけられては、日中の暑いうちは番小屋で休んでいたり・・。

キノコ採りや魚釣り、民謡を唄いながら教えてくれた・・。

★キノコ採りはばあちゃんにおそわり、魚釣りは兄貴たちにおそわり、唄も兄たちの歌っているのをまねしては覚えた。短いとはいえ夏の暑い時は川に泳ぎに行った。いや、私は、魚を捕まえるのが趣味だった。川の向こうには当時は丸太の橋だった。萩、桔梗、女郎花、などお盆にはお墓に備えるもので良く取りに行った。盆踊りも西馬音内盆踊りは有名だが、当時は各地で盆踊りが賑やかだったので、西馬音内盆踊りまでは行ったことがなかった。乗り物もないしね・・。

山深い集落の朝は霧の深い日が多かった・・。

★夜は星空がきれいで、流れ星、太いほうき星を見た事もあった。今なら『何とか流星』などといわれ新聞に載ったりするでしょう。朝ドラで炭焼き風景を見ては、友人が炭焼きの手伝いをしているのを見た事もあったし、自分が唄う民謡の、津軽よされ節の一説に『空行く雲の色見ても、谷間流れる水見ても、秋の深さを思わせる、一人眺める峰の月』炭焼き暮らしの様子を唄った詩を思い出します。

盆踊りが盛んだったなぁ・・。

★農家の休みと言えば盆と正月位だった。それぞれの集落では盆踊りは楽しみの一つでした。唄の上手い人たちが歌い・・太鼓の上手い人はたたく・・。大人も子供も楽しんでいた。今風に言えば婚活の場でもあったのかもしれない・・。他の村から迄踊りに来ましたね・・。『ハアー唄え踊れよ、叩けよ太鼓よ、月の月の世界に届くまで』との歌声は今でも耳に残っています。遅くまで過ごしても・・それでも次の日は朝早くから草刈をしては、背負ってくるのを見ました。馬や牛の餌で、当時は貴重な戦力でした。だから馬小屋、牛小屋は自宅と続いておりました。『南部の曲がり屋』はいつも家畜には目配り出来る場所で、餌もいつでもあげられるからね・・。

兄たちはもういないし、知っている人も少ないし・・。

★今度の6月は私にとっても最後の帰郷の旅となる事と思います。首都圏羽後町会という会があり、羽後町出身者の集う場所が東京では毎年あり、自分さえ都合が付けば、開かれるその日に行けば雰囲気に浸る事はできます。しかし今回の旅は、自分の心に現在の故郷への思いを見て覚えて、現風景は原風景として・・昔の思いは心の奥にしまっておこうと考えています。『昭和は遠くなりにけり』から『平成も30年』も過ぎ今や『令和2年』です。地球温暖化で雪は少なくなり、野菜に影響が出る、米は取れる場所も少しずつ変わってきた。住みにくい世の中になっては来た様に思いますが・・残りの人生を楽しもうと思います・・。日本人の寿命は大分長くなっている。女子90才~男子80才は当たり前の時代です。昭和の苦難を過ごして来た人々よ・・・しぶとく生きて楽しもうではありませんか・・。

 

 

 

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