ブログ(ひとりごと)

  1. 年1回行って来た「おさらい会」と、「交流会」と称して仲間達の親睦を深めようと今年から計画した。三味線教室なので、唄を歌う方は少し遅れ気味の為、合同の練習する機会を設けてました。交流会で歌う練習と伴奏の練習をして、おさらい会で体験し、来年の稲城大会に出場することを目標にしております。ハワイ演奏旅行での体験を生かして、仲間達の活躍に期待して、機会を設けました。
  2. 昨年の11月から新人さんが1名入ってきました。12月のおさらい会にも、唄で応援をして頂きました。今年も2月ころから1名入る予定です・・。

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故郷実家の跡地を見に・・

6月末ごろに自分の実家(廃家)を見届けに行く予定・・。

★実家はもう廃家になっているが、墓を守っている姪っ子夫妻がいるので、墓参のついでに挨拶をして、本家の佐藤正一郎さんの家にも顔を出して挨拶をして、下唐松、上唐松の墓や、高瀬川や、唐松神社、回るのはレンタカーのつもりなので、軽井沢、仙道、板戸、松沢、坂ノ下、蒲生、鴻屋、田代、門前、など昔とどう変わったのか等をこの目でしっかり見て来たい。見たところでどうなるものでもないが、子供の頃の記憶が・・

見たところでどうにもなるわけではないが・・。

★子供のころの記憶が、あの山はどうなっているか・・田んぼはどうなっているか・・。幼いころの思い出とはこんなにも鮮明な記憶として残るものなのか・・。兄たちや、地域の子供たちと遊んだ記憶・・りんご畑の番小屋で、りんごの番をしたり、畑にまいた大根の芽を雀から守る番をしたり、畑の草むしりを言いつけられては、日中の暑いうちは番小屋で休んでいたり・・。

キノコ採りや魚釣り、民謡を唄いながら教えてくれた・・。

★キノコ採りはばあちゃんにおそわり、魚釣りは兄貴たちにおそわり、唄も兄たちの歌っているのをまねしては覚えた。短いとはいえ夏の暑い時は川に泳ぎに行った。いや、私は、魚を捕まえるのが趣味だった。川の向こうには当時は丸太の橋だった。萩、桔梗、女郎花、などお盆にはお墓に備えるもので良く取りに行った。盆踊りも西馬音内盆踊りは有名だが、当時は各地で盆踊りが賑やかだったので、西馬音内盆踊りまでは行ったことがなかった。乗り物もないしね・・。

山深い集落の朝は霧の深い日が多かった・・。

★夜は星空がきれいで、流れ星、太いほうき星を見た事もあった。今なら『何とか流星』などといわれ新聞に載ったりするでしょう。朝ドラで炭焼き風景を見ては、友人が炭焼きの手伝いをしているのを見た事もあったし、自分が唄う民謡の、津軽よされ節の一説に『空行く雲の色見ても、谷間流れる水見ても、秋の深さを思わせる、一人眺める峰の月』炭焼き暮らしの様子を唄った詩を思い出します。

盆踊りが盛んだったなぁ・・。

★農家の休みと言えば盆と正月位だった。それぞれの集落では盆踊りは楽しみの一つでした。唄の上手い人たちが歌い・・太鼓の上手い人はたたく・・。大人も子供も楽しんでいた。今風に言えば婚活の場でもあったのかもしれない・・。他の村から迄踊りに来ましたね・・。『ハアー唄え踊れよ、叩けよ太鼓よ、月の月の世界に届くまで』との歌声は今でも耳に残っています。遅くまで過ごしても・・それでも次の日は朝早くから草刈をしては、背負ってくるのを見ました。馬や牛の餌で、当時は貴重な戦力でした。だから馬小屋、牛小屋は自宅と続いておりました。『南部の曲がり屋』はいつも家畜には目配り出来る場所で、餌もいつでもあげられるからね・・。

兄たちはもういないし、知っている人も少ないし・・。

★今度の6月は私にとっても最後の帰郷の旅となる事と思います。首都圏羽後町会という会があり、羽後町出身者の集う場所が東京では毎年あり、自分さえ都合が付けば、開かれるその日に行けば雰囲気に浸る事はできます。しかし今回の旅は、自分の心に現在の故郷への思いを見て覚えて、現風景は原風景として・・昔の思いは心の奥にしまっておこうと考えています。『昭和は遠くなりにけり』から『平成も30年』も過ぎ今や『令和2年』です。地球温暖化で雪は少なくなり、野菜に影響が出る、米は取れる場所も少しずつ変わってきた。住みにくい世の中になっては来た様に思いますが・・残りの人生を楽しもうと思います・・。日本人の寿命は大分長くなっている。女子90才~男子80才は当たり前の時代です。昭和の苦難を過ごして来た人々よ・・・しぶとく生きて楽しもうではありませんか・・。

 

 

 

令和元年後半から、2年稽古始め・・

令和元年後半から、2年稽古始め・・

第11回目のおさらい会

★12月15日あきる野市野辺地区会館で行われました。普段着のコンサートと言った感じで、音響や舞台の設定などそれぞれ分担しながら、会員が率先して動き会場が出来上がり、10時半に設定した開演時間待ちになった。年々年を重ねる事で動きに不安を与えない様にとの配慮のつもりが、思ったより皆さんの協力の結果が早くて・・。早速反省・・来年は10時開演でも大丈夫ですねえ・・と話し合う始末でした・・。

★各自出番の進み具合を見ながら、なるべく皆さんの出番を多く作って、入会まだ1か月しかたたない方にも、歌で協力して頂きました。三味線の教室なので、伴奏の練習には、歌い手さんが必須です。各自に歌1曲は歌って頂くようにして、それぞれ弾く方、弾いた後で今度は歌の方に変わる方、音合わせと忙しく動き回るので、結構忙しくなるのはどこのおさらい会も似たところがあるのではないかな~といつも思い、来年はもう少し落ち着いて出来る様にならないかなあ~・・今年もその点は反省になるようです。とりあえず無事終わり、会場を親睦会(忘年会)の会場に早変わりの設定・・。これまた、皆さんの協力で・・。

★来年は来れるかな~などと言う方もおりましたので、私は『大丈夫ですよ・・』『あれから40年でよ・・』って言うと笑いながら『そうだねっ』って言う言葉が返ってきて一件落着・・。

北海道へ出かける・・

★北海道も兄貴の終末期の件で50~60回を超える位通ったが、一度も観光をし事がない・・。其のうち函館も知人の病院への見舞いでした。

★今回も用事で函館を訪れ、すぐ正月という事もあり年末帰省ラッシュになる事もあり、クリスマスの日には帰ってきました。

★函館の飲食店で食事の際チョット1杯と酒の小瓶をたのんだら、出てきた日本酒が私の口に合ったので、買ってきました。純米吟醸酒(知床番屋の酒)という酒でした。スッキリした飲み口で・・それ以来あまり飲まないのだから、わからないけど少しくらいはと思い口にしています・・。今度行く時は又買おうと思おっています。北海道のお酒・飲み比べ

飲み比べ用3本パックがあり、番屋の酒は1本売りでした。酒飲みではない私には、この喉を通った後のスッキリ感がいいと思った。

正月には子・孫たちが来ました・・。

★上の男の子は高校受験性です・・。下の女の子は今度5年生になる・・。来年は中学との事でそれぞれ大変になるとの事で・・『今年は暮れに行ってもいいかなぁ』との問い合わせがあった。今年の塾、最後の帰りに来た。このところ二人での生活に慣れていた私たちには、その目まぐるしい動きを想像してはいたが、急に4人増えるわけだから・・。動き、判断力、見るもの、聞くもの、の違いに付いていくのが・・。元旦の朝、今度はパパさんの実家へ行く予定との事で・・孫一家が帰って行った・・これから正月だね・・。元の生活に戻りホッとした会話の中で、お節と雑煮を頂き、北海道の酒『北風吹』をと思ったが・・まだ朝なので、これから車で出かける事があるといけないと思い・・お茶で今年も宜しく・・と言った感じでした。

今年第1回目のボランティア・・

★令和2年1月7日(火)1回目のボランティアを多摩市内の介護施設に・・年2回のご依頼で出かけました。今年も宜しくとあいさつを受けて皆さん張り切っておりました。出来るだけ皆さんの参加形式で昭和の歌謡曲などを津軽三味線のアレンジで大うけのうちに終わりました。又次回7月にお願いします。とのご依頼を頂きました。

★すでに3月・4月も依頼があります・・。

ホームページの手直し・・

★1月8日・・ホームページの手直しをこれから行います。これから少し時間をかけて、ホームページを少しずつ直して行こうと思っています・・。

1月26日㈰は章風会(日本民謡)の会の新年演奏会に参加します。

★章風会の会員で、私の会員でもある(女性津軽三味線バンド・蜜音)を組んで活躍している方が、4年ぶりにドイツから来日して、章風会の新年演奏会に一緒に参加する事になっており久々に顔見るのが楽しみです。又、どの様に三味線が進歩したか興味があります。又、半年ぶりに章風会の皆さんと顔合わせるのも楽しみです。今年も皆さんの歌や楽器と幸せを共に出来る事の喜びを心の内で願いながら楽しいひと時を過ごしたいと思っております。

🤶🎄クリスマス会にイベントにて参加・・

クリスマスソングを弾く奏者

12月のイベントに、クリスマス会🎄🤶を津軽三味線でというご依頼が2か所から入ってたので、三味線にサンタや鈴を下げて、『聖者の行進・オオスザンナ・ジングルベル・聖者の行進』と、津軽三味線の合奏を弾き『きよしこのよる・ジングルベル』の2曲を皆さんで歌って頂き、後は、いつもと同じように、

令和2年・稲城民謡大会役員会(1回目)

令和2年の稲城民謡連合会大会を4月19(日)に決定したのを受けて、新年第1回目の役員会を、1月25日に稲城市振興プラザにて夕方6時半より開催決定・・昨年は40周年記念大会でした。今年はどの様な形の大会になるのやら・・。まずは七会派の役員の顔合わせです・・。